以前、クイニーアマンの解説をしました記事の中で、1997~1999年のブームに乗っていましたパン・菓子類のトレンドについて記載しました。
▼平成9年(1997年) ベルギーワッフル
▼平成10年(1998年) クイニーアマン、 ロールケーキのスイーツ化
▼平成11年(1999年) エッグタルト、 シナモンロール
今回は、その中で1999年にヒットしましたエッグタルトにスポットライトを当ててみました。
いつもより、ほんの少しだけ International です。
【 目次 】
1999年ってどんな年?
1999年は、マカオがポルトガルから中国に返還された年になります。
これを機会にマカオは日本でも注目度が上がり、多くの日本人観光客がマカオに足を運んだそうです。
そして、そのマカオでロード・ストウズ・ベーカリーは1989年から独自のレシピでエッグタルトを提供、人気を博しており、本場の味を口にした日本人もまた多かったのではないでしょうか。
アンドリューのエッグタルト
歴史
イギリス人のアンドリュー・ストウ氏が、ポルトガルのリスボンへ旅行した際、1837年創業の老舗カフェ『パステイス・デ・ベレン』を訪れ、そこでリスボン名物のエッグタルト(パステイス・デ・ナタ)に出合ったそうです。
その商品に感動したアンドリュー氏は、これをマカオで再現させようと、改良を加えたレシピで独自のエッグタルトをつくり上げました。
そして、このエッグタルトを看板メニューとする『ロード・ストウズ・ベーカリー』を1989年、マカオ・コロアン島のコロアンビレッジにオープンさせたということです。
なお、香港でもエッグタルトはメジャーなスイーツのひとつとのことなのですが、マカオのものとは少し仕様が異なるようです。
マカオと香港でエッグタルトの食べ比べをしてみても、おもしろいかもしれませんね。
日本進出
そして1999年には、そのロード・ストウズ・ベーカリーが『アンドリューのエッグタルト』という名で日本・大阪に進出しました。
今では、大阪名物・道頓堀スイーツとして、販売されています。
名古屋へは名古屋駅前の名鉄百貨店地下1Fに2015年10月に展開されていましたので、例のごとく家族に買い物をお願いしました。
購入しましたのは、イチゴとプレーンの2品種です。
プレーンは、サクサクのパイ生地に卵黄の色も鮮やかなカスタードが詰めてあり、高温で焼き上げたであろう、ブリュレ(焦げた)状態になっています。
そして、イチゴの方はカスタードクリームの下に甘さ控えめのイチゴソースが充填されています。
こちらもパイ生地の食感はサクサクで、溶ろけるようなフィリングとの相性はばっちりです。
パステイス・デ・ベレン
ところで、確かにブームの火付け役はアンドリュー氏のエッグタルトなのですが、その元となったポルトガルのソウルフードであるパステル・デ・ナタも気になります。
パステル・デ・ナタの発祥は、ポルトガルの首都リスボンの西部・ベレン地区にあるジェロニモス修道院の厨房です。
1820年にポルトガルで起こりました自由主義革命の際、現在では世界遺産になっているジュロニモス修道院は閉鎖されて、多くの修道士・修道女たちが追放されたそうです。
そんな彼らが生きていくために売ったものが、修道院の厨房でひっそりと作られていたパステル・デ・ナタなんだとか。
このお菓子は世に出されると大変な人気となり、ポルトガル中に評判が広がっていったそうです。
以前の訪問
そのようなことを記述していましたところ、以前にポルトガルでこのお菓子を食べていたことをふと思い出しました。
デジカメの写真を探していると、・・・ありました、2009年、今から11年前の写真が残っていました。
私もアンドリュー氏と同じく、パステイス・デ・ベレンを訪れ、そこでパステイス・デ・ナタ(エッグタルト)に出会っていました。
とにかく、店内は大変込み合っていて(今なら確実に3密!)、お店の外でイートインの受付をしたと記憶しています。
そして、パステイス・デ・ベレンからほど近く、リスボンの世界遺産、ジェロニモス修道院があります。
ここから伝えられたという秘伝のレシピを守って、パステル・デ・ナタ(エッグタルト)は作られていたのですね。
ミニミニ工場見学
そのパステイス・デ・ベレンの店内でパステル・デ・ナタを頂きました折、席へ通されます通路の途中からたまたま製造現場風景を見ることができました。
こちらの写真も11年前のものですので、今はどうなっているのでしょうね~。
奥側が焼成室で、手前側が冷却室のようです。(さすがに成形の様子までは見せてはくれませんね。焼いているところも見られませんでした。)
多段ラックも見えますが、冷却効率が悪いためでしょうか、台の上にズラッと焼成したパステル・デ・ナタが並んでいます。(使用されているプレス天板は、ヨーロピアンサイズ程の大きさですね。)
奥に並んでいるデッキ式のオーブンは、おそらく電気式と推測します(ガス式であれば、ガスコックを操作する必要がありますので、こんなに密に並べて設置できないと思われます)。
どこかの記事で、パステイス・デ・ベレンではパステル・デ・ナタを400℃のオーブンで焼成しているといった記載を見掛けました。
普通に考えますと、400℃もの高温で電気オーブンを連続運転することは難しいと思いますので、ここに写っていますオーブンはパイ生地用のオーブンかもしれません(それはそうですね、秘伝のレシピを外から簡単に見られるような作業環境には普通はしませんから)。
そして、もう一点不思議なのが、パステル・デ・ナタを載せていますプレス天板の色が黒い事。
生地表面を焦がすのであれば、型の塗装は必要ないですし、輻射熱をパイ生地の方へ回す意図は何だろうか、と。(当然、テフロンの色ではないと思います。230℃で損傷を受けますので)
ブリュレになるほどの最後の焼成方法とは・・・。