日本に上陸した未知の加熱調理法(当時)
私は仕事柄、年に1回は長崎を訪れます。(市内を走る路面電車は、風情がありますね)
長崎大学で工学部の学生向けに『社会と工学』というタイトルの特別講義を行うためです。(工学部の講義で、私のようなパン屋さんの話は希少種のようです)
初めて長崎に行きました折には、時間を見付けて平和公園や眼鏡橋へも行きましたが、やはり長崎と言えばカステラといった連想となり、老舗と呼ばれます3店舗(福砂屋、文明堂、松翁軒)の本店を周りました。
全国的には、福砂屋と文明堂が知名度で勝っている感がありますが、共通して感じましたのは、独自性であり、代々受け継がれてきました伝統です。
ちなみに、上写真の福砂屋の商品は、底部のザラメがポイントとなっていて、3店舗の中では比較的甘さが抑えられているように感じます。
ところで、16世紀(室町時代末期)に南蛮貿易で伝来しました、この南蛮菓子:カステラは併せてその製法も日本に伝わってきました。
しかし、ここで問題が発生します。
当時の日本には『煮る、蒸す、焚く、炙る』といった加熱調理の文化はあったものの、天火で焼く調理法すなわちオーブンは存在していなかったのです。
そこで、当時の人達はオーブンに代替する日本独自の装置を考案します。
(引き釜 出典:カステラ文化誌全書 ~East meets West~ (1995)平凡社)
引き釜という調理機器は、上下の火(炭火を使用)で焼く天火のようなものから発達したと考えられています。
この装置の開発は、従来下火を主に加熱調理を行ってきた日本において、調理革命ともいうべきものだったそうです。
現在のオーブンでも、一部の機種にその名残が残っています。
上図は、オーブンで何をしているところだと思いますか?
実は、一定時間加熱しましたカステラ生地を枠ごと炉外へ出して、ヘラ等で撹拌しているのです。
この操作を泡切(あわきり)と読んでいます。
この時まで、オーブンの種類に、なぜ引き床式のオーブンがあるのか、正直言って必要性が分かりませんでした。(そうだったのかぁ、といった気分でしたね!)
次の工程表を見て下さい。
カステラの焼成では、加熱しながら撹拌するといった非常に手間の掛かる製法となっていることが分かります。
更に、先に上面の焼色を付けてから上天板で覆いをして焼成となります。
えっ、こんな焼き方で大丈夫なの?、普通にスポンジケーキの用に焼けばいいんじゃないの?、と思われる方もきっといると思います。
ですが、結論から言いますと異なる製造条件では、同じレベルの高い品質のカステラを焼くことはできませんでした。
理由のひとつにカステラの生地は流動性が高いバッター生地であるということ、そしてもうひとつが型(枠)が大きいということが挙げられます。
私達は、カステラを焼成する際の生地温度を測定することにしました。
当然のことながら、製品ボリュームや含水率の測定、食感等に関する官能検査も並行して行っています。
木枠に敷き紙を敷いて、温度センサーをセットします。
生地を流して、生地上面温度の測定用にも温度センサーをセットします。
これは色付け終了後の状態で、まだボリュームは上がってきていません。
そして、最終的には下段の木枠の高さギリギリのところまで、生地上面の高さが上がってきています。
すみませんが、さすがに測定データまでは載せられません、申し訳ありません。
でも、この記述と画像からだけでも考える点は多々あります。
同じ小麦粉製品でもパンとは異なるバッター生地で、しかもスポンジケーキとも違っている・・・。(私的には、非常に面白いのですが!)
ここで一言言えることは、奥が深いんです、本当に!